第一回【CEOインタビュー】素直に生きることが人生を楽しくする
EnlytのCEOはどんな人?ということで2022年11月にCEOに就任された久保さんに初インタビューをしていきます!
これまで久保さんは、バドミントン選手として10年間、フィリピンに英語留学、ロンドン芸術大学に進学、ヨーロッパでフリーランス、ベトナムのダナンで IT転職、、、と国内外でさまざまな経験をしながら、人生を歩んできました。今回は初インタビューということで、久保さんのこれまでの約25年間のストーリーや人生で大切にしていることなどをお聞きしました。
目次
これまでの経歴
―― これまでの経歴を教えてください。
久保:僕が現在35歳なので、これまでの約25年くらい前くらいから話しますと、バドミントン10年、ロンドンに6ヶ月留学、フィリピンにIELTSの英語留学、ロンドン芸術大学に入学、ヨーロッパでフリーランス、ベトナムのダナン IT転職とさまざまな業界を生きてきました。そして、2022年の3月末に6年間のベトナム ダナンでの生活を終え、日本に帰国しました。2022年4月からEnlytの取締役に就任し、2022年11月からは正式に代表取締役になりました。
10年間のバドミントン生活
―― 学生時代は、どのように過ごしてきたのですか?
久保:僕は中学から大学卒業までの10年間バドミントン部に所属していました。
中学生のときの部活見学をきっかけになんとな〜く楽しそうだなあと思い入部を決めたことがきっかけですが、そこからめちゃくちゃ熱心に取り組みました。
―― 当時のバドミントン時代の話をもう少し聞かせてください。
10年間の主な戦績でいうと、
・中学 – 県大会シングルス優勝
・高校 – 県大会シングルス、ダブルス、団体の3種で優勝 / 国体 ベスト16
・大学 – 関西 ベスト8 / 西日本 ベスト 8
―― 戦績を聞いて驚きました!まさか国体レベルの選手だったとは…。
久保:これだけ聞くと一見アスリートの華やかな経歴かと思うかもしれませんが(もちろん上には上がいます)、実は10年間のバドミントン生活の中で1つだけ後悔の念が残っていました。
高校3年のときに練習をサボってしまったんです。
なぜサボってしまったかというと、部活の顧問の先生に対して反抗心や不信感をいだき始めたことがきっかけでした。そのサボりが影響してか最後の夏のインターハイ(スポーツやっている人はみな目指す全国大会)で1回戦で敗北。団体戦でもチームに迷惑をかけてしまい、2回戦で敗北。
大会前の校外練習試合の戦績やトーナメントのくじからは、ベスト16 もしくは ベスト8になれるチャンスがあったにもかかわらず、練習をサボってしまったことでチャンスを逃してしまいました。
試合に負けてしまったことはもちろん悔しかったですが、特に僕が抱いた後悔は、不平不満を自分の目標を達成するためのエネルギーに使えなかったことです。
部活の顧問の先生への不平不満とインターハイで優勝という自分の目標。
ここで僕は外的要因から影響を受け、負の感情をもち、自分の目標を結果的に見失い、その負の感情をぶつける手段として練習をサボるという誰も得をしない行動をとってしまいました。
大学卒業と自分の道を決断
―― スポーツ選手としての後悔を経て、大学卒業後もバトミントンを継続することも考えていましたか?
久保:僕には2つの選択肢がありました。
① 普通に就職活動をして企業に就職する。
② バドミントンでの繋がりを使って企業の為に競技することを条件に就職する。(いわゆる企業所属のアスリート)
という選択肢だったのですが、僕はなるべく後者は避けました。
―― どうしてですか?
久保:なぜならスポーツの世界というのはとても小さなコミュニティだからです。10年もその競技に関わっていればほとんどの人が顔見知りなんです。
人生は1度しかないので、このままバドミントンの世界だけしか知らず死んでいくのは望んでいませんでした。
自分の得意なことをしながら生きることで居心地は良くても、最高に楽しめないんじゃないかと思い別のことにチャレンジする道を選びました。
本能的に自分は新たなチャレンジを望んでいたのかもしれません。
―― 就職をするという選択をしたということで、当時就職したい業界や企業はありましたか?
久保:それが、いざバドミントンには関わらないと決めたものの、10年間ほとんどの時間をバドミントンに費やしていたので自分が何に興味があって、将来何がしたいのか分からず毎日悩みました。
このときの僕はかつての輝きを完全に失ったと自分に失望してました。
今だから冷静に見れますが、スポーツの世界では県内といえども1位を取るような選手はチヤホヤされますし注目も浴びます。常にそんな環境にいたため自分という存在価値もそんな風に感じてしまい、相当失望したんだと思います。
とんだ勘違い野郎です。笑
社会に出るとなったら、今までの自分のアイデンティティだったバドミントンの世界は通用しないと感じ、バドミントンに打ち込んだ10年間がまるで無駄だったかと思うくらい自信を失っていました。
とんだ被害妄想野郎です。笑
でもそんなことはないとまだ諦めきれていませんでした。だから、悩みながらも色々やってみました。
広告系の会社を受けてみたり、飲食でバイトしてみたり、iPhone 3Gか4がでたてくらいの時期だったんでiPhoneをめちゃくちゃ売ってみたりしました。 (このときにけっこう儲かって後述の海外進出資金となりました。笑)
そんな毎日を繰り返しながら、当時「自分はなにがしたいんだ!」とずっと自問自答を繰り返していました。しかし、そのときは本当に自分がやりたいことは結局わかりませんでした。
だから、とりあえず無理矢理やりたいことを決めました。
―― 最終的に辿り着いたものとはなんだったのでしょうか?
久保:それが「ファッション」でした。
色々と悩みながら考えた中で、自分が少しでも興味あるものは「ファッション」でした。
たしかに大学時代は洋服が好きでよく京都の河原町、大阪の堀江に買い物に行ってたな〜ぐらいの感じでしたが。
とりあえず今の状態を脱却すべく、ワクワク感ゼロで「ファッション」の道に進むことを決めました。
海外を意識するようになったきっかけ
―― ファッションを学ぶために、ロンドンへの短期留学、そしてロンドン芸術大学に進学したと冒頭でおっしゃっていましたが、もともと学生時代から海外には興味があったりしたのですか?
久保:いえ、実はアンチ海外派でした。
海外の話題になれば、
「日本もろくに知らないのに海外行ってどうすんの?」
「全世界の人たちが日本語話せば良いんだよ!」
って感じでした。
負け犬の遠吠えですね。笑
しかし、悩む日々を経て、なんとなくファッションの道に進もうと思っていたそんな中、人生の大きな分岐点を迎えました。
それは高校時代からの親友とのタイへの大学卒業旅行でした。
このときそんなにお金もなかったので、物価は安いけど食事、娯楽を満喫できる外国ってどこが良いだろうと探していたところ、知り合いの先輩がタイがおもしろいと言っていたのでタイに決めました。
ちなみに僕にとってこの旅行が親なしで行く初めての海外旅行でした。
当時ちょうど日本では、英語・海外留学・グローバルといった言葉をニュースなどでよく聞くようになりはじめてきた記憶があります。
海外アンチ派だった僕でしたが、タイに行って全てが変わりました。
―― タイでどのような印象を受けられたのでしょうか?
久保:タイのバンコクに着いて街を散策していたら、道中に沢山の物乞いをされている方々がいました。その中には片方の腕や足がない人たちもいました。
海外経験者にはそのような光景は発展途上国では当たり前のことだと思うかもしれませんが、無知だった僕にとってこの光景は衝撃でした。
このときに自分がどれだけ小さな世界で生きてきていたかを知りました。
これまでバドミントンしか知らず兵庫県という小さい世界の中でスター選手扱いされてきたので、僕はいわゆる「世間知らずのスポーツバカ」でした。そのため、目の前の光景に映る、「リアル」な生きることへの実感は恐怖にも似た感情で自分の焦りにもなりました。
僕はその光景を見ながら思考を自分にフォーカスしはじめていました。
そして、「このまま日本で死んでいくわけにはいかない!!もっと他の世界も見なければ!!」と強く思ったのです。
ロンドン行きを決意した1つの理由
―― ロンドン行きを決意した経緯を教えてください。
久保:タイからの帰りの飛行機では、2つのキーワードで頭がいっぱいでした。
「海外」と「ファッション」
どうしたらこの2つを満たせるか考え始めていました。
これがまた運良く隣に座った方が海外に居住経験があるご年配の方で、その方が色々教えてくれました。その中にワーキングホリデーという手段があることを教えてもらいました。
そこで「ファッション&海外&ワーホリだったらロンドンでしょ」くらいでロンドンに行くことを決めました。
ロンドンのファッションが多少好きだったとはいえ、今思うとタイ旅行をキッカケに海外を意識しはじめ、ロンドンに行くことを決意するって都合のいい考えしてたなと思います。。。笑
日本に帰って早速ワーホリに申し込みました。
結果、落選しました。
イギリス(ロンドン)のワーホリは毎年1000名限定で、各国のワーホリ申込の中で1番くらい人気と倍率が高い国だったようです。(当時の数)
僕は来年のワーホリの抽選を待てませんでした。1年後だし、当たるかどうかもわからないし。
運任せほど怖いものはありません。
なので観光ビザでロンドンに行くことを決意しました。
観光ビザでは仕事はできませんが、6ヶ月間滞在できました。このときにiPhoneを売り倒して稼いだお金が大活躍するとは思ってもいませんでした。笑
当時僕はそれっぽい理由を探してロンドンに飛び立ちました。
正直言うと行く目的は明確ではなかったんです。
自分に何ができるか、何ができるようになるかなんて、全くわかっていませんでした。
それでも1つわかっていたことは、ロンドンに行くと決めた時、心がとてもワクワクしたことです。
この気持ちはめちゃくちゃ鮮明に覚えています。
英語も話せないし、知り合いもいませんでしたが、ただただこの気持ちに素直に行動しました。
ロンドン生活を価値あるものにした2つの事
―― ロンドン生活をどのように価値あるものにしたのでしょうか。
久保:ロンドン生活を価値のあるものにした2つのことがあります。
1. 成果物を残す
勢いでロンドンに来ちゃってるので右も左も分からないし何をしたらいいかわかりません。
けど、なにか爪痕を残さなければ帰国した際に両親や友達に見せる顔がないと焦ってもいました。
ちょうどそのとき、ロンドンにいってから知り合って仲良くしていた美容師の友達が「モデルさんを使ってヘアーの撮影をしたい」と言っていました。
撮影なんてこれまで一度も経験したことがないことだったので他人事のように聞いていたんですが、ある日その友達に「ひこ(僕のあだ名)はリーダーシップあるから撮影のディレクションしてみてよ」と言われたのです。
ちょうどなにか爪痕を残さなければと思っていたときだったので、これはまたとないチャンスだと思い、友達のその話にのっかることにしました。
それからは怒涛の日々でした。
・つたない英語でのモデルさんのスカウト
・カメラマンやメイクアップアーティストさん探し
・撮影場所探し
・メイクやヘアーをするセットスペースの確保、スケジュール調整
・撮影のコンセプト決め
全てが初めてのことでしたが、手探りでなんとかやりきりました。
作品のクオリティとしては世に出せるようなものではなかったと思いますが、自分なりの爪痕はロンドンに残せました。
2. 本気でその道を極める決意
―― 英語が話せない、コネクションがゼロの環境で、どうしてそこまで多くのことを成し遂げられたのですか?
久保:ロンドンに半年いる間に、沢山のロンドン在住や長期滞在されている日本人の方々と会う機会がありました。
このときに僕が感じたことは、なにかゴールを決めてやり切る必要性でした。それなしでは全てが中途半端になると思いました。
ファッションで何かしたいというパッション。
英語を使って生きていくこと。
ロンドンで掴みかけ始めていたことが、このまま日本に帰るだけでは全て中途半端で終わってしまうと思ったんです。
そう感じたときめちゃくちゃ怖くなってきました。
自分なりに考え抜いた結果、ファッションで進みたいんだったらちゃんとファッションを勉強するべきだという結論が出ました。
そして今でも鮮明に覚えているんですが、日本に帰国する10日前です。
キングス・クロス駅周辺にある大英図書館で、例の美容師の友達に「俺、マジでファッション勉強したいからロンドンのファッションで有名な大学に入学するって決めたわ!!」と宣言しました。
いかがでしたでしょうか?
10年間打ち込んだバトミントン生活を離れ、唯一興味のあった「ファッション」に海外で挑戦し、その後はロンドンの大学に入学を決意することに、、、この記事はここでおしまいです。次回は、ロンドンの大学に入学するにあたっての背景、現地での新たな挑戦を数々してきた人生についてお聞きしていきたいと思います。楽しみにしていてください!!
久保のプロフィール
・株式会社Enlyt CEO 久保 利彦 ・バドミントン選手10年→ロンドン芸術大学卒業→フリーランスとしてヨーロッパでファッションを生業→ベトナムにてIT転職→現在 ・もっと知りたい方→https://twitter.com/TKHYKO
Enlytについて
株式会社Enlytはテクノロジーの進化と時代の変革に応じて新しいアイデアとサービスを創出することで、世の中に新たなビジネスチャンスを提供するテクノロジー集団です。Enlytは少数精鋭のメンバーのため、積極的なメンバーが活躍できる機会が多分にあり、日々自己の成長を実感することができる環境があります。年齢・性別に関係なく、和気あいあいと業務をしている会社の雰囲気は、THEベンチャー企業という雰囲気が味わえます。Enlytでゼロから事業を作る一生ものの経験をしませんか?採用の詳細はこちらから!
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