「ちょっと古い地図になってしまいました」——集まりはあるのに、置き場所が止まっている町。 萩・唐戸市場・山口県立美術館で考えた、「受け取る仕組み」の空白(フィールドリサーチ Vol.3)
みなさん、こんにちは。Enlytの久保です。
御花(柳川)、湯浅醤油(湯浅)、番外編の高野山と、老舗や観光地の現場を一人の客として歩く連載を続けてきました。第3回は山口県です。下関の唐戸市場、萩の城下町、山口県立美術館の特別展を、いつもどおり有料の一般客として、事前連絡なしで回ってきました。
このシリーズでは、①摩擦の記録、②裏側の運用、③デジタル接点の棚卸し、④世界観と画面のずれ、⑤お金と決める人、⑥物販 の6つの観点で観察し、構造への指摘は特定の施設名ではなく型で書き、良かった点だけ実名で書くようにしています。
今回、いちばん強く残ったのは、萩の萩焼の店で聞いた一言でした。「ちょっと古い地図になってしまいました」。店の方が地図を出しながら、自分からそう言ったんです。この一言が、その日に見たものをほとんど説明していたと思います。今回はそこから書き始めたいのですが、その前に、朝に寄った市場の話を少しだけさせてください。
目次
唐戸市場で、「名前が書かれる場面」を探した
日曜の昼の唐戸市場は、通路が人で埋まっていました。寿司は一貫ずつ手書きの値札で並び、客は自分でトレーに取って会計の列に並びます。買った寿司を持って外に出ると、みんな岸壁の縁に座って、海を見ながら食べていました。机も椅子もないのに、この市場でいちばんの体験がそこで成り立っているんですよね。
支払いは基本的に現金でした。スマートフォン決済が使える店もありましたが、「1,000円から」という条件がついていました。僕がこの連載でずっと見ているのは、「来た人のことが、どこかに残るか」という一点です。市場の中でそれを探すと、客の名前と住所が紙に書かれる場面は、ふぐの店の電卓の横に置かれた伝票の束だけでした。宅配の送り状と見られます。つまり、名前が書かれる瞬間はあるのに、その紙は運送会社に渡っていき、市場の側には何も残らない。

唐戸市場の岸壁。机も椅子もないが、ここがいちばんの体験になっている

ふぐの売り場。名前が書かれるのは、電卓の横の伝票だけだった
これは市場を責める話ではありません。市場の本業は卸で、週末の観光客はその上に乗っている客です。ただ、この日いちばん熱量の高かった場所で「何も残らない」を確かめてから、萩に向かいました。
「ちょっと古い地図になってしまいました」
萩には夕方に着きました。城下町の萩焼の店で器を買い、会計をしていると、店の方がラミネートされた手描きの地図を出してきて、「突き当たって右に行くと、窯元直売のお店が3軒ほどあります」と道を教えてくれました。そのうえで、自分から付け加えたのが、「ちょっと古い地図になってしまいました」という一言でした。
地図を作ったのは「萩城下町盛り上げ隊」という、城下町で商売をする人たちと地域の人の集まりです。会員の店を色分けした一覧、侍姿のガイドの予約電話、「この辺りには流しのタクシーはいない」という注意とタクシー会社の番号まで載っていました。町を歩く人が本当に困ることを知っている人たちが作った、情報量の多い地図だと思います。
一方で、載っているイベントの日付は2015年の秋から2016年の春のもので、世界遺産登録を祝う欄もそのまま残っていました。店の方は古いことを知っていて、それでもこの地図を出すしかない。個店の集まりが作る紙の地図は、更新する手段がないと、作った時点で時間が止まってしまうんです。

萩焼の店のレジ横。決済手段は一通りそろい、奥に手描きの地図がある

店内の陳列。入りやすい値段から高い値段まで、段差がきちんと作られていた
ここで大事なのは、集まり自体はちゃんとあった、ということです。欠けているのは集まりではなく、集まりが持っている情報を更新し続けられる置き場所でした。しかも、その置き場所が紙なので、客がこの地図を見たことも、どの店を訪ねたかも、誰にも残りません。地図は客に情報を渡すだけで、客からは何も受け取れないんですよね。
見せる設備はある。受け取るのは、紙と箱
萩には観光協会があり、観光地域づくり法人(DMO)として登録されています。協会と市の窓口は、旧明倫小学校を改修した「萩・明倫学舎」に入っています。ここは正直に言って、情報を渡す仕組みは今回回った中でいちばん充実していました。大きな映像壁があり、地区ごとの「おたからマップ」が十数種類、外国語のパンフレットは英語・韓国語・中国語・フランス語までそろっています。年配のスタッフの方が温かく対応してくれて、支払いもスムーズでした。

萩・明倫学舎の休憩スペース。大きな映像壁で館内を紹介している

地区ごとの「おたからマップ」と、英・韓・中・仏のパンフレット
隣の観光案内所には「手ぶら観光サービス」もありました。提携する宿に泊まる人は、案内所に声をかけると宿が荷物を取りに来てくれます。これは本当に助かる仕組みだと思います。同時に、案内所はこの時点で「その人が今夜どこに泊まるか」を知っているんですよね。旅の途中で宿泊先がわかる、めったにない接点です。
では、客から何かを受け取る仕組みはどうか。DMOが入る案内施設で見つけたのは、観光満足度アンケートの応募箱、まちじゅう博物館への募金箱、文化財を守る100円信託の案内でした。すべて紙と箱です。すぐ横のノートパソコンは閉じたままでした。アンケートに答えて、スタンプを集めて、募金までする人は、その町をいちばん気にかけている人たちのはずです。その人たちの記録が、箱の中で止まっています。

受け取る仕組みは、応募箱と募金箱。横のパソコンは閉じたままだった

「手ぶら観光サービス」の案内。宿泊先がわかる接点だが、紙と口頭で完結している
これは萩の問題ではない:入口はあるのに、持ち主がばらばら
レポートをまとめながら気づいたのは、萩に「受け取る入口」がなかったわけではない、ということです。むしろ、いくつもありました。市の無料Wi-Fiはメールアドレスの登録が必要です。交通事業者のアプリで高速バスの事前決済ができます。県をまたぐ謎解きイベントのQRも掲示されていました。手ぶら観光の依頼も、アンケートの応募用紙も、客が自分から情報を渡している場面です。
ただ、その持ち主がばらばらなんです。Wi-Fiは市、アプリは交通事業者、謎解きは外部のイベント会社、地図は商店の集まり、常連の記憶は店主。どれも観光協会の手元にはつながっていません。図にすると、こうなります。

入口は4つの層すべてにある。ただし記録は紙か、観光協会の外に散らばっている
御花や湯浅醤油のように一人の当主が場全体を持っている場所では、「受け取る」と決めれば、その日から始められます。萩のように所有者が分散した町では、まず「誰が受け取るのか」を決めるところから始まります。この違いは、町の努力の差ではなく、構造の差だと思っています。
読者のみなさんの町にも、商店の集まりが作った地図があるのではないでしょうか。その地図は、いつ更新されましたか。そして、その地図を受け取った人のことは、どこかに残っていますか。この二つの問いが、今回の萩でいちばん持ち帰りたかったものです。
御花・湯浅・高野山と並べてみる
この連載では、場所を「体験の中身を決める人がいるかどうか」で三つの型に分けて見てきました。

「面」の型。決める人が一人か、層に分かれているか、いないか
御花は中間が空洞でした。初めての客と常連はいるのに、関係が深まり始めた客を受け止める層がない。湯浅は二本の川が交わらない形で、蔵に来る客とオンラインで買う客の流れが別々でした。高野山は砂時計で、檀家の記録は厚く、観光客は多く、その中間がありません。
萩は、そのどれとも違いました。中間層に当たる常連の記録は、店主の頭の中にしかありません。店主が引退すれば、その店との関係ごと消えます。空き店舗が半分近くに見える城下町では、これは将来の話ではなく、すでに起き始めていることかもしれない、と歩きながら感じていました。

萩城下町の白壁の通り。看板が少なく、景観がよく保たれている
もう一つの現場:情報は置いている。でも、手渡していない
同じ日、山口県立美術館の特別展にも行きました。完全事前予約制で、当日券はありません。入口では予約の時間枠ごとにレーンを分け、最後にスマートフォンのQRコードを読み取って入場させていました。混雑する特別展の入場としては、とてもよく設計されていたと思います。
一方で、公立館の特別展でいちばん大事な情報、「本日分は完売」「現在の入場は13時の枠」は、ホワイトボードに手書きで書き換えられていました。予約も決済もデジタルなのに、今どうなっているかだけは、人がペンで伝えているんですよね。

当日券はなし。購入窓口は3つに分かれている

その場でいちばん大事な情報は、手書きだった
チケットの購入窓口は、公式オンラインと外部の券売2社の3つです。買った人の情報は3つの事業者に分かれて、会場である美術館はそのどれも持ちません。会場の中で来場者とデジタルにつながっていたのは、専用アプリでAR体験を提供するスポンサー企業の側でした。ショップは展覧会の運営側が担当していて、海外の決済まで15種類以上に対応しています。対照的に、出口の手前で館が自分で置いている飲み物は、1本100円、代金は箱に入れる方式でした。

来場者の情報は券売の各社、スポンサー企業、展覧会の運営側へ流れ、館に残るのは匿名の集計だけ
では、館は何もしていないのか。そうではありませんでした。総合案内の机には「次回展覧会」の札とともに、来春の特別展のチラシ、館のニュース、年間スケジュールがきちんと置かれています。アンケートは紙とQRの両方があり、設問には住所や国籍、「本日はご宿泊予定ですか」まで入っていました。観光の側がいちばん欲しい情報を、実は聞いているんです。ただ、連絡先の欄はなく、集計して終わる匿名の統計です。そしてスタッフの方に「次回展の案内はどこで受け取れますか」と聞くと、答えは「特にない」でした。

案内は置かれている。ただ、手渡す流れにはなっていない

館が自分で置く飲み物は、1本100円、代金は箱に入れる方式
情報は置いている。でも、手渡していない。聞いている。でも、関係にはしない。公立館の特別展で見えたのは、「何もない」ではなく、この二つの状態でした。一年でいちばん多くの人が来る期間に、次の案内を届けられる相手が一人も残らない。萩の応募箱と、形は違っても同じことが起きているように思います。
小さな寺が、「また来る理由」を自分で作っていた
最後に、うまくいっていると感じた場面を書きます。萩城下町の円政寺の入口に、「期間限定御朱印」の幟が立っていました。時期ごとに違う御朱印を用意して、再訪の理由を自分で作っているんです。手書きの幟と紙の案内だけの仕掛けですが、「また来る理由を設計する」という点では、町の中でここが一歩先にいると感じました。大きな仕組みがなくても、一つの店や寺が自分でできることはある、という例だと思います。

円政寺の入口。「期間限定御朱印」で、また来る理由を自分で作っている
その夜は長門湯本温泉に寄りました。元祖瓦そばたかせ長門湯本店の瓦そばは、熱した瓦に盛られて湯気を立てた状態で運ばれてきて、同席した人は自然とスマートフォンを構えていました。客が自分から撮って発信したくなるように作られた料理です。大谷山荘の露天風呂は日帰りでも使えて、音信川沿いは飛び石と木々が照明で浮かび上がり、暗くなってからも歩きたくなる景色でした。萩では17時に閉まる店が多いと聞いたので、夜に歩くことを前提に作られた町との対比が、よけいに印象に残りました。

長門湯本温泉の夜の音信川。暗くなってからも歩きたくなる

元祖瓦そばたかせ長門湯本店の瓦そば。客が自分から撮りたくなる
萩で見たのは、温かいのに何も残らない町でした。でもそれは、努力が足りないからではなく、「誰が受け取るか」を決める人がいない構造のせいだと思っています。集まりはある。地図もある。あとは、その地図を更新し続けられる置き場所と、受け取った人のことが残る置き場所を、誰が持つのか。読者のみなさんの町では、その役割は誰が持てそうでしょうか。次回も、また別の現場から書きます。
よくある質問
萩の観光案内所には、デジタルの仕組みが本当にないのですか?
あります。市の無料Wi-Fi(メール登録制)、交通事業者のアプリ、大きな映像壁、デジタルサイネージなどがそろっていました。ただし運営者がそれぞれ別で、客の情報が観光協会の手元にまとまる仕組みにはなっていない、というのが今回の観察です。
「集まりはあるのに置き場所が止まっている」とは、どういう意味ですか?
萩城下町には商店の集まりが実在し、町歩きに必要な情報を一枚の地図にまとめています。ただ、その地図は紙で、内容は2015〜2016年のままでした。集まりが欠けているのではなく、集まりが持つ情報を更新し続けられる置き場所と、客から受け取る置き場所がない、という意味です。
個店が分散した町(個店集積型)で、最初にできることは何ですか?
新しい入口を作る前に、すでにある入口をまとめることだと考えています。Wi-Fiの登録、手ぶら観光の依頼、アンケートの応募用紙など、客が自分から情報を渡している場面はすでにあります。それが観光協会や商店の集まりの側に残るようにするだけで、受け取りの形ができます。その次が、各店が自分で営業時間や休みを更新できる町の地図です。
番外編の高野山で整理した三つの型のうち、個店集積型にあたります。
関連記事:「お賽銭はApple Payで払えた。では、その後は?参道の「面」は誰のものか——高野山で考えた、老舗の接点設計(フィールドリサーチ番外編)」
公立の美術館では、来場者の情報はどこに残るのですか?
今回見た特別展では、チケットの購入情報は券売の各社と主催側に、会場内のアプリ体験はスポンサー企業に、ショップの購買は展覧会の運営側に残り、館の手元に残るのは匿名のアンケートの集計だけでした。展覧会が終わると、来場者との関係も一緒に終わる構造です。
このフィールドリサーチは、どのように行っていますか?
有料の一般客として、事前連絡なしで訪ねています。摩擦の記録、裏側の運用、デジタル接点の棚卸し、世界観と画面のずれ、お金と決める人、物販の6つの観点で観察し、構造への指摘は特定の施設名ではなく型で書き、良かった点だけ実名で書くようにしています。
エンライトでは、観光地や観光スポット、地域活性に取り組む自治体様のデジタル活用の実装に積極的に取り組んでおります。観光関連や自治体での観光客との接点作り、関係性構築を進めたいとお考えならば、お気軽にエンライトにご相談ください!
LINEミニアプリのことなら、私たちEnlytにお任せください!
アイデアの本質を深く理解し、認識のズレを生まない進め方で、要件が固まる前から並走します。受注前の無料コンサルティングもご用意しています。小さなことでもお気軽にご相談ください。




