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お賽銭はApple Payで払えた。では、その後は?参道の「面」は誰のものか——高野山で考えた、老舗の接点設計(フィールドリサーチ番外編)

みなさん、こんにちは。Enlytの久保です。

これまで観光DXの現場を体験し、解像度を高め、思考する旅として、料亭旅館 御花様(福岡・柳川)、産地観光DXの現場として和歌山県湯浅町の醤油蔵の湯浅醤油 を、老舗の現場を一人の客として歩く連載を続けてきました。今回は番外編です。湯浅の翌日、雨の高野山を歩いてきました。

なぜ番外編かというと、高野山はこれまでの二つと「面」の構造が違うからです。御花も湯浅醤油も、一つの家が土地と商いを丸ごと持っている場所でした。高野山は、寺が面の大家で、その上に宗派・町・交通・商店が重なっています。この違いを一度見ておくと、逆に御花や湯浅のような老舗が持っている強みが、はっきり見えてくるんですよね。

今回はその話をしたいと思います。ただ、入り口は理屈ではなく、賽銭箱の前で起きた小さな出来事からにします。

和歌山市内のタクシーで聞いた話

高野山に向かう前、和歌山市内でタクシーに乗りました。運転手さんとの雑談の中で、こんな話が出てきました。

去年までは現金だけだったこと。万博で大阪に対応するために、決済端末を入れたこと。タッチ決済はまだできないこと。最近はUberも入ってきたけれど、件数としては会社に電話してもらう方がずっと多いこと。

この時点では、ただの雑談として聞いていました。ところが高野山を歩き終えたあと、この会話が頭に戻ってきたんです。電子決済は外からの流れで導入された。でも、その先の関係は、誰も設計していない。この一文が、その日に見たものをほとんど説明していました。

壇上伽藍の賽銭箱に、NFCカードが置いてあった

賽銭箱の端に置かれた『ココにTouch!』と書かれたスマートフォン決済用のカード

壇上伽藍の賽銭箱の端に、小さなカードが立てかけてあります。「ココにTouch!」。スマートフォンをかざすと、金剛峯寺名義の決済ページが開いて、金額を入れてApple Payで供えられます。50円から10万円まで、1円単位。僕は100円を供えました。

スマートフォンに表示された金額入力画面と、決済後の『トップページへ戻る』の画面

正直に言うと、感心しました。参拝の所作を邪魔しない置き方で、画面はシンプルで、20秒もかかりません。海外からの参拝者が日本の小銭を持っていないことを考えれば、これは合理的な判断だと思います。ここは実名で称えたいところです。

では、その後は?

決済が終わると、画面には「お供えいただき、ありがとうございました」の一文と、「トップページへ戻る」のボタンだけが表示されました。それで終わりです。

ここで一度、立ち止まって考えてみてほしいんです。参拝者が自分の意思でお金を供えた直後というのは、その場所に対する気持ちが一番高まっている瞬間ではないでしょうか。この連載で「温度」と呼んできたものが、最も高い瞬間です。

その瞬間に、次につながるものが何も置かれていない。御朱印のデジタル版でも、次の法要のお知らせを受け取る選択肢でも、何でもいいんです。一つあれば、寺の側に「この人が来た」という記録が初めて残ります。それがない。

これは高野山だけの話ではありません。連載で「発信過多・受信ゼロ」と呼んできた構造の、たぶん最も純粋な形です。接点の技術は入っている。でも、接点が決済で終わっている。

御朱印の列は、関係を求める列

拝観受付と御朱印受付のレーンを示す案内板。御朱印側に3レーン、拝観側に2レーン

金剛峯寺の受付に行くと、レーンが分かれていました。拝観受付が2レーン、御朱印が3レーン。御朱印の方が多いんです。

御朱印というのは、参拝者の側から「ここに来た証を持ち帰りたい」と関係を求めてくる、たぶん唯一の接点です。需要は、この列の長さで見えています。ところが御朱印は寺から人への一方通行で、寺の側には何も残らないんですよね。

御朱印を求めて並ぶ列は、そのまま「関係を持ちたいと言っている人の列」だと僕は思いました。紙の御朱印を渡すのと同時に、たとえばLINEで「デジタルの控え」を受け取れる導線が一つあれば、それだけで寺の側に残るものが変わるのではないでしょうか。

来訪前・来訪中・来訪後の三段階で、寺から人への発信と人から寺への受信を整理した図。来訪後の受信が空欄

これは高野山の問題ではなく、「面」の構造の問題です

ここからが本題です。歩きながら気づいたのは、賽銭・受付・売店で、決済の方式が四つ並んでいることでした。NFC、QRコード、カード端末、タブレットのPOS。同じ寺の敷地の中で、です。

なぜこうなるのか。意思決定の単位が分かれているからだと思います。それぞれの場所の担当が、それぞれの事情で、それぞれの業者を選んだ結果として、四つの決済が並ぶ。悪意も怠慢もありません。構造がそうさせている。

連載でこれを「組織図に沿った分断」と呼んできました。御花や湯浅では発信側(Webや案内板)で起きていた分断が、高野山では受け取る側(決済)で起きていた、ということです。

参道の「面」は誰のものか——3つの類型

参道商業の面の所有構造を、私有面型・聖地大家型・個店集積型の三つに分けて比較した図

門前町や参道の商業を「面」として見ると、その面を誰が持っているかで、大きく三つに分かれると考えています。

  • 一つ目は、単一の所有者や家系が面全体を持っている型。御花や湯浅醤油がこれです。
  • 二つ目は、寺社が面の大家で、その上に宗派・町・観光協会・交通が重なっている型。高野山がこれです。
  • 三つ目は、個人商店の集合体で、面の所有者がいない型。多くの参道商店街がこれにあたります。

高野山を歩いて痛感したのは、二つ目の型では「面全体を動かせる一人」がいないということでした。宗派に届いても、寺に届いても、町に届いても、面の一部しか動かない。しかも各層がそれぞれのブランドを持って、同じ参道の上に並んでいます。宗派の紋、寺の名義、町のマスコット。

一人なら、設計は今日から始められる

逆に言うと、一つ目の型は決定的に有利です。当主が一人で判断すれば、面全体の接点を設計できる。御花にも湯浅醤油にも、高野山と同じ「受信ゼロ」の構造はありました。でもそれは、一人の判断で今日から変えられる構造なんです。高野山の構造は、そうではない。

この差を、僕は連載を通じて一番伝えたかったのかもしれません。

御花・湯浅と並べてみる

御花・湯浅醤油・高野山の三事例について、来訪者の関係の深さを高・中・低の三層で比較した図

温度モデルで三つを並べると、形の違いがはっきりします。御花は中間が空洞、湯浅は二本の川が交わらない、高野山は頂点が厚く底辺が広く中間がゼロの砂時計型です。

それぞれの詳しい話は、Vol.1(御花)とVol.2(湯浅醤油)の記事に書いています。まだ読まれていない方は、この記事のあとで読んでいただくと、三つの形の違いがより立体的に見えるのではないかと思います。

奥の院の参道脇に並ぶ、区画番号が赤字で記された石柱

高野山の頂点の厚さには理由があります。奥の院には膨大な墓所があり、区画は番地化され、施主の名前は数百年単位で管理されています。六角経蔵の台座には寄進者の名前が刻まれています。寺には、日本で最も持続性の高い顧客台帳があるんです。ただしそれは、石と紙に刻まれた、檀家と故人の台帳です。

一方で底辺は、雨の中を歩く外国人観光客と団体バスです。墓地のエリアを除くと、ほとんどが海外からの方でした。頂点と底辺はほぼ別の人たちで、その間がない。

「顧客台帳がない」のではなく、「一番古い台帳を持ちながら、生きている来訪者だけが空白」。この逆説が、聖地大家型の構造なのだと思います。

「置かない設計」——御廟橋の先

奥の院の御廟橋。石橋の先に杉並木と参道が続く

最後に、批判ではない話をさせてください。奥の院の御廟橋から先は、撮影禁止です。最も温度の高い場所は、意図的にデジタルから切り離されています。

これは正しい設計だと思いました。デジタル接点の設計というのは、どこに置くかを決めることであると同時に、どこに置かないかを決めることでもあります。高野山はその境界線をはっきり引いている。賽銭のNFCと御廟橋の撮影禁止は、矛盾ではなく、一つの判断の表と裏なんですよね。

老舗の当主のみなさんにとっても、この線引きは大切だと思います。全部をデジタルにする必要はありません。「ここは人と紙でやる」と決めた場所があるからこそ、「ここはデジタルで受け取る」と決めた場所が生きるのだと思います。

まとめ:あなたの参道は、誰のものでしょうか

今回の番外編で見えたことを整理します。

  • 決済の接点は入っても、関係の接点は誰も設計していない。タクシーも寺も同じでした
  • 一番温度が高い瞬間(お供えの直後、御朱印の列)に、受信の窓がない
  • その原因は、面の所有構造にある。意思決定者が一人か、層に分かれているか
  • 一人なら、設計は今日から始められる
  • そして、置かない場所を決めることも設計のうち

読者のみなさんの参道は、誰のものでしょうか。もし一人で決められる面をお持ちなら、それは高野山にはない、決定的な強みだと僕は思います。次回はまた本線に戻って、一つの家が面を持つ老舗を歩きます。

よくある質問

門前町・参道の「面」とは何ですか?

参道沿いの商業をひとつの連続した空間として捉えた言い方です。個店単位ではなく、来訪者が歩く範囲全体で接点を設計するための単位として使っています。面を誰が持っているかで、私有面型・聖地大家型・個店集積型の三つに分けて考えています。

寺社でもLINEなどの顧客接点は作れますか?

技術的には可能ですが、先に「どこに置かないか」の境界を決めることが大切だと思います。参拝の核心部分はデジタルから切り離し、御朱印や決済の直後など、参拝者の側から関係を求めてくる場面に一つだけ受信の窓を置く、という順番が現実的です。

キャッシュレスの賽銭は、関係づくりに使えますか?

決済そのものは匿名のトランザクションですが、決済後の画面は活用の余地があります。「次回の行事案内を受け取る」といった選択肢を一つ置くだけで、寺の側に記録が残り始めます。決済ベンダーの画面改修で済むことが多い範囲です。

御朱印のデジタル化とは、紙をやめることですか?

違います。紙の御朱印はそのまま残し、受け取った人がLINEなどで「デジタルの控え」を受け取れる導線を添える、という考え方です。参拝者にとっては記録が増えるだけで、寺にとっては初めて「誰が来たか」が分かるようになります。

老舗が最初に手をつけるべき接点はどこですか?

来訪者の気持ちが一番高まっている瞬間を、現場で一つ特定することだと思います。お供えの直後、体験の終わり、商品を受け取った瞬間など。その一点に受信の窓を置くのが、面全体を設計する最初の一歩になります。

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